
- 【はじめに】700万の借金…ストレスで過呼吸やメニエール病に…復活の理由とは?
- 【その1】 背筋が震える恐怖の家と、貧しい子ども時代
- 【その2】ダウンタウン伝説番組『4時ですよーだ』出演。裏側と後悔
- 【その3】勉強は実写版のび太の成績…。でもなんとかなる
- 【その4】 役者になる! と東京へ向かったが…
- 【その5】 ハンマーで殴られるような痛み 人間はいつ死んでもおかしくない
- 【その6】 2年間ニート。 自殺も考えたが〝あること〟をして流れが変わった
- 【その7】初の飛行機で、初の海外。その後リストラ…でも大歓迎!
- 【その8】 ド田舎生活→事業立ち上げ→事業譲渡→会社廃業(←いまココ)
- 【その9】 〈後悔しないか?〉という行動指針
ド田舎での生活。のちに事業立ち上げ
仕事を辞めてスクーターの旅、ニートでいながら旅、仕事が見つかって辞めて旅、就職してリストラされて旅、そんなことを繰り返しているあいだに、父の死や母の死がありました。
父が亡くなり、その9年後の母の死で、僕は住む場所を固定する理由がなくなりました。
これをきっかけに、かねてから田舎で住んでみたいと思っていた僕は、当時の彼女(いまの嫁さん)とドライブついでにいろんな田舎を見て回りました。
結果、野生の鹿やタヌキ、猿が頻繁に出没するド田舎に出会いました。
ここがいい!
と思った僕はその村に移住を決意しました。
村でいろんな情報を集めて、別荘地にあった築30年の別荘を、運良く格安で借りることができました(1ヶ月2万円)。
買物するのに車で30分かけて街に出かけないといけない村です。

わたしがクルマの免許を取ることになるとは…
暗くなると村に2つしかない信号が点滅信号になるような場所で、もちろん、コンビニなんてありません。
そこは雨がよく降る地域でしたが、住んでいる場所は別荘地で山の中です。
雨が木々の葉っぱにあたり音を奏でます。本当に静かな場所なので、そんな葉音が心地よく感じるくらいでした。
子どもも2人そこで産まれ、その村には4年間お世話になりました。
当時勤めていたのがデイサービス(高齢者介護事業)の仕事で、この仕事なら楽しいし自分でやれると思った僕は、自分でデイサービスを立ち上げることにしました。
その村では僕が勤めていたデイサービスと利用者(お客さん)の取り合いになってしまうため、デイサービスを立ち上げることはできませんでした。
僕は自然があってそれなりに人口の多い場所を選び会社を設立。日本政策金融公庫に700万円の融資をしてもらい、デイサービスを立ち上げました。

やったるでーー
しかし、起業マインドもなにも整っていない状態での起業というものは、それほど甘いものではありませんでした。
事業譲渡。のちに前向きな廃業
会社を作ったのは、地元でも住んだことのあるところでもありません。
初めての場所で、どんな所かも知らない、右も左もわからない場所。緊急のパラシュートで舞降りてきたようなものです。

たいした戦略もないまま始めたデイサービスは案の定、苦戦しました。
赤字を解消するまで数年かかり、従業員もなかなか定着しませんでした。
介護保険制度に振り回され、自分で会社を経営しているようで、事実上、国に雇われていることにも嫌気がさしてきました。
そんな折に、とあるビジネススクールを知り、モチベーションの上がった僕は猛勉強をはじめます。
仕事が終わってから夜遅くまで勉強。
休みの日は図書館の学習ルームへ行って勉強。
車の中でも風呂の中でも勉強。
あれほど勉強嫌いだった僕が、勉強漬けになったのです。
1番重要ともいえる、起業に対するマインドもそうとう鍛えられました。
このビジネススクールのおかげで収支は黒字化し安定していきました。
仕事に対する姿勢もまるで変わったので方向性がはっきりし、経営するのが楽になりました。
やがて、僕はデイサービス運営のかたわら、副業で物販業をはじめます。
専業物販スタート! 半年で売上が、80万円→421万円に

副業ではじめた物販業が好調になってきたので、なんだかんだと4年間経営をしたデイサービスは、黒字の状態で事業譲渡しました。
譲渡の理由は、制度改正がおこなわれるたびに単価が下がり、小規模のデイサービスを続けていても苦しくなってくる。
先々、職員不足で確保が困難になることも理由のひとつでした。
高齢者が増える一方で、高齢者を支える若い世代は少ない。
介護保険は年金制度と同様、破綻の道を歩んでいます。
そんな介護事業に見切りをつけたく、譲渡できるいいタイミングで譲渡したと言えます。
従業員もそのまま残ったので、ご利用者にもよかったです。
また、基本的にやはり僕は1匹狼が好きで、人を雇うことに楽しみを見出せていませんでした(案外、これが1番大きな理由かもしれません)。
事業を譲渡してから、副業でやっていたインターネット販売の物販業を専業でスタートします。
ここでもビジネススクールで学んだことが実を結びます。
売上はどんどん伸びていき、半年で月商412万。その後も月商は伸び、継続して収入を得ることが可能になりました。





僕は本当にラッキーだと思います。
ただし、ラッキーなだけではない、とも思っています。
次が最後です→【その9】〈後悔しないか?〉という行動指針
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