
- 【はじめに】700万の借金…ストレスで過呼吸やメニエール病に…復活の理由とは?(←いまココ)
- 【その1】 背筋が震える恐怖の家と、貧しい子ども時代
- 【その2】ダウンタウン伝説番組『4時ですよーだ』出演。裏側と後悔
- 【その3】勉強は実写版のび太の成績…。でもなんとかなる
- 【その4】 役者になる! と東京へ向かったが…
- 【その5】 ハンマーで殴られるような痛み 人間はいつ死んでもおかしくない
- 【その6】 2年間ニート。 自殺も考えたが〝あること〟をして流れが変わった
- 【その7】初の飛行機で、初の海外。その後リストラ…でも大歓迎!
- 【その8】 ド田舎生活→事業立ち上げ→事業譲渡→会社廃業
- 【その9】 〈後悔しないか?〉という行動指針

はじめまして! フクテツです!
僕は数年前に日本政策金融公庫から700万円の融資を受けて、介護事業所を立ち上げました。
融資といえば聞こえはいいですが、
700万円の借金
ですね。
立ち上げたはいいものの売上は低迷し、融資のお金はどんどん削られていきます。
売り上げが上がらない=事業所は暇…。
暇な会社は不安なので従業員は定着しません。
上に立つ立ち場のひとならわかると思うのですが、ひとに仕事をしてもらうのは慣れないと非常に難しい…。
山積みの課題に、毎日いやな汗が流れました。
妻子もいながら、このままでは借金地獄に陥ってしまう…。
過呼吸にもなり、ひどくめまいがしてメニエール病にも…。
なおかつ、超高齢社会の日本では、高齢者を支える側の人間が圧倒的に少なく、介護保険の費用が莫大なものになっていました。
安泰といわれていた介護業界の先行きは不透明…。
今後も超超高齢社会に突入していくなかで、国からの介護報酬は下がる一方…。
このようなことから意外にも、介護業界の先行きは決して明るくありません。
やがて、僕は別の手段を模索するようになりました。
そこで見つけたのがとあるビジネススクール。

このスクールのおかげで、1番大事ともいえるビジネスに取組む姿勢(ビジネスマインドを鍛える)から学ぶことができました。
意外とこのビジネスに取組む姿勢は、通常のビジネススクールでは学べません。
ビジネスに取組む姿勢を徹底的に叩き直したうえで、起業センスを底上げし、低迷していた事業も黒字になりました。
それでもこの業界は相変わらず先行きが不透明だったので、経営をしながら副業で物販業をはじめました。
やがて介護事業は黒字の状態でM &A(せめて黒字でないと、僕のような小規模事業所は売却できません)。
満を辞して、専業で物販業を独りでスタート。
売上はどんどん伸びていき、半年で月商412万。
その後も月商は伸び、継続して収入を得ることができました。
もちろん借金はすべて返済しました。



このブログは、フクテツとヨメちゃんでお送りします

よろしくお願いします!
さて、僕は3人兄弟の末っ子で、いま思うと貧乏な家だったんだなー、と思います。
住んでいた家も、初めて足を踏み入れる人にはなかなかの恐怖体験が得られたと思います。
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