【その2】ダウンタウン伝説番組『4時ですよーだ』出演。裏側と後悔

昔のテレビ
関西では若者に絶大なる人気番組でした





ダウンタウン伝説の番組『4時ですよ〜だ』に出演。その裏側と後悔


僕は中学1年の頃に、ダウンタウンが東京へいく前の伝説の番組、『4時ですよ〜だ』の素人参加コーナーに何度か出ました。

フクテツ
フクテツ

おとなしいくせに目立ちたがり屋。そんな矛盾が僕の中にはありました



この番組は大阪ミナミの2丁目劇場(いまはありません)で、月曜から金曜まで夕方4時から1時間の生放送の番組です。


僕がでたコーナーは『しりとり持ってこい』というコーナーで、松っちゃんに選ばれたモノの最後の1文字が翌日のお題となり、月〜金まで毎日しりとり形式に進んでいくコーナーです。


その日のお題は『び』からはじまるモノ。



僕が持って行ったものは、「人参、椎茸、豚肉、レモン、アーモンド」。

ヨメちゃん
ヨメちゃん

なんなのよ、コレ

フクテツ
フクテツ

『び』からはじまるものだから、『ビタミンA・B・C・D・E』を調べて持って行ったんだ



当日の昼2時か3時頃から(あまり時間は憶えていません…)、2丁目劇場の1階廊下でオーディション。


ADだか誰だかわかりませんが、時間がないのかやけに忙しいひとがオーディションの担当でした。



僕が持って行ったモノは『ビタミンA・B・C・D・E』です。


次々と審査していく中、僕の番になりモノを見せながら説明すると、きっぱり一言。



「長いからあかん」

ガーン
ガーン…



しかし咄嗟に、



「少なくします! CとDだけにします!」



と言ってお願いしました。


すると担当者はちょっと考え「まあ…ええやろ」


と言ってくれ、危うくオーディションで落ちそうになりましたが、なんとか入れてもらいました。




オーディションに受かった10名ほどが、劇場の裏側に足を運びます。




2丁目劇場の裏側や階段横には、「大崎○○!」「大崎のアホ!」「〇〇〇〇大崎」など、あの大崎プロデューサー(現吉本会長)の悪口がびっしり書かれていました。


おそらく芸人が書いたのだとおもわれます。


当時から芸人にかなり厳しかったようですが、そんな大崎氏だからこそ吉本をここまで大きな企業にできたのだと思います。




やがて『しりとり持ってこい』のコーナーがはじまりました。


ひとりずつ『び』からはじまるモノを出していきます。

フクテツ
フクテツ

僕の他には、『ビニール傘』や『ビートルズのレコード』を持ってきていた人がいました



僕の番になり、舞台に登場して手に持ったレモンと椎茸を出しながら、



「ビタミンCとD〜!」



と大声で叫ぶと、浜ちゃんにツッコまれ、最終的に10名程度の中から松っちゃんに選ばれました


ちなみに、浜ちゃんのツッコミは全然痛くなかったです。すっごく優しいツッコミなんです(営業妨害とか言われないですよね?)。


賞品は当時ダウンタウンがCMをしていたインスタント・ラーメン2ヶ月分。



関西ローカルの『4時ですよ〜だ』には、いまは売れっ子の今田耕司さんや東野幸治さん、キム兄にホンコンさん、板尾創路さんなどが出演していました。


板尾さんはテレビにオンエアされていないCM中にずっと僕をにらみつけるという、謎のギャグをして会場をややウケさせていました。


当時の僕はそれがギャグだとはわからず、「板尾は僕をにらむ嫌な奴」と、ずっと嫌いでした(営業妨害とか言われないですよね?)。

フクテツ
フクテツ

いまは板尾さんを好きでも嫌いでもないです

ヨメちゃん
ヨメちゃん

芸人さんはそっちの方が嫌だとおもうよ…



番組の最後に僕は浜ちゃんに肩を組まれ、あのよく通る声で翌日のお題を叫んでいました。


浜ちゃんはセーターを着ていて暖かかったのをめっちゃ憶えています。


当時は番組を録画できるビデオデッキもないのに、ここまで憶えているのはすごく印象深いことだったのですね。


翌日学校へ向かって歩いていると〈あのコ、昨日4時ですに出てたコや〉など、うしろ指をさされ、教室に入った瞬間、クラスメートに囲まれました。


あれは自分史上 最高の優越感 でした。



当時のダウンタウンといえば、関西では絶大なるアイドルでしたから。



いまとなっては古き良き思い出です。



ただ、ダウンタウンの番組に出て浜ちゃんにツッコまれ、松っちゃんに選ばれたあの日、ぼくは1つだけいまだに後悔していることがあります。



人生の中でまだ残っているひとつの後悔

僕はその番組のオーディションへ1人で行ったわけではありませんでした。


中1になったばかりの僕は、友人と大阪のミナミにある2丁目劇場(いまはありません)へオーディションを受けに行ったのです。


そういえば、その友人もオーディションに受かっていました。


「び」からはじまるお題で僕が「ビタミンB〜F」を持って行ったのに対し、彼は「ビッグな腕時計」でオーディションを受かっていました。

フクテツ
フクテツ

チャンピオンベルトみたいな大きな腕時計でした



最終的には僕が松っちゃんに選ばれ、インスタント・ラーメン2ヶ月分のダンボールを両手で抱えながら持って帰ることになりました。


家に帰るまえの夕暮れ時に彼の家へ寄り道しました。


事情は知らないのですが、彼の両親は離婚していて彼は母親と2人暮らしでした。

まだ彼の母親は仕事から帰っていませんでした。

彼は帰ってもいつも1人っきりで、部屋も静かで寂しげな雰囲気だったことが記憶に残っています。


彼は引っ越ししていて校区が変わっており、僕はまだ電車で帰らなければいけませんでした。

そう長くはいられません。


僕は帰る間際にもらったラーメンの2つのダンボールを開封し、彼に『とりりのり(ラーメンのネーミング)』2袋と、『うししのし』2袋の合計4袋をあげました。

ヨメちゃん
ヨメちゃん

……4袋?

フクテツ
フクテツ

そう…4袋

ヨメちゃん
ヨメちゃん

えっ? もらったのは2ヶ月分だから60袋あったんだよね?
なのにあげたのは4袋だけ?

フクテツ
フクテツ

そう…4袋

ヨメちゃん
ヨメちゃん

ドケチーーー! もっとあげればいいのにーー!



そうなんです。


これがいまも僕の中で残っている後悔です。


あのときなんでもっと彼に渡すことができなかったのか…。


もっとたくさん渡していれば、きっと彼のお母さんも喜んでくれたと思います。


いまおもえば半分くらいあげればよかったと思うのですが、ケチな性分だったのでせめて10袋くらいあげればよかったと、帰りの電車の中で考えていたものです。


結局もらったインスタント・ラーメンは学校で大安売り(1袋10円)していたのですから、それなら彼にもっとあげればよかったとやはり後悔しています。




そんなことをしていた僕は、勉強がからっきしダメでした。


自慢になりませんが、僕はいわゆる勉強というものをまったくしませんでした。



少年期(小学生・中学生)は、まるで実写版のび太の成績!



小学生の頃はまあまあ活発でしたが、目立ってやんちゃなわけではありませんでした。



ちかくの大学や職業訓練校に忍び込んで、警備員のおじさんやヤンキーのおっかないお兄さんに追いかけられたことが何度もあります(職業訓練校のお兄さん達は、子どもを追いかけて遊んでいたんだと思いますが)。


そんな僕は勉強がとにかく嫌いでした。



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